
中3のとき、大学生までの未来設計図を考えた
——卒業後も各代のニコ㋲から「あの時、アスカちゃんに救われた」って何度も名前を聞いていたよ!アスカの思いと行動は、きちんと後輩に届いていたんだね。ではここからようやく本題、進路の話に入ります。アスカが“ニコラ卒業後”のことを考え始めたのはいつだった?
「中3と高1の間ですね。私が所属している事務所は中学生以下と高校生以上で部署が分かれていたので、そのタイミングで進級の評価があったんです。私は負けず嫌いだから、とりあえず上に行きたい、高校生以上の部署に進級したい、という気持ちは強かったものの、『この先もずっと芸能の道で生きていくんだ』とはまだ思えていなくて。同じ事務所の子の中には、高校に進級して部署が上がるタイミングで上京する子も結構いたんですけど、私はそこまで踏み切れなかった。なので、代わりにこんな未来設計図を考えたんです。【①高校生までは福岡で過ごす】、【②高校を卒業したら、東京の大学に入る】、【③大学生になったら2年間本気で芸能活動をがんばってみて、そのあと自分の進路を決める】。」
——中3でそこまで考えてたの⁉︎
「はい! “ニコ㋲卒業と同時に芸能界も引退する”という選択肢もよぎったんですが、この仕事の魅力に気が付き始めている自分がいて、でも、ずっとは続けられないだろうなという危機感もあって。だから学校にはきちんと通って、将来の選択肢を残しつつ芸能活動も続けて、大学2年くらいで辞めるのがちょうどいいのかなって。」
——大学進学まで、設計図通りの人生を歩んでいるのもすごいところだよね。まず①福岡での高校生時代はどんなふうに過ごしてた?
「主に勉強をしてましたね。と言っても学校の課題をやるくらい。勉強しつつ、たまにお仕事やオーディションがあったら上京するような感じ。実はニコ㋲デビューしてすぐ、当時の編集長から『勉強はしておいた方がいいよ』と言ってもらったことがあって、その言葉がすごく印象に残っていたんです。だからニコ㋲時代も撮影に呼ばれない時期があったら割り切って勉強するようにしていたので、その延長というか。“仕事がないなら勉強しよう”ってことですね。」
勉強、勉強、勉強、勉強しかしていない日々でした(笑)。


——それから②東京の大学へ進学に至るまでの、受験勉強や志望校選択の話も教えて!
「“東京の大学に入る”というのは自分の中では決めていたことだったので、割と早い段階から受験を意識してはいました。高2の終わりくらいまでは、指定校推薦を取るつもりで定期テストの勉強に力を入れていたんですが、高3を目前にして、出席日数が足りないことに気づいてしまって……! ただ、運がいいのか悪いのか、ちょうど高3になってすぐのタイミングでコロナの緊急事態宣言が出たので、他にできることもないし、そこからはひたすら勉強、勉強、勉強、勉強しかしてないくらいの勢いで勉強していましたね」
——受験勉強はどんなふうに進めてた?
「英語だけ塾に通って、それ以外はスタディサプリです。緊急事態宣言中(高3の4月)にはもうスタサプのアプリをダウンロードして、なんとなく復習を始めていたような気がします。〈夏までに総復習を完了させて、夏以降は志望校の赤本に取り組もう〉みたいな受験勉強の大まかな計画もスタサプが提示してくれたので、基本的にはそのスケジュールを意識しながら進めていました。受験間近になると、英語の塾の自習室で朝から夜まで勉強して、自習室からの帰りにスタバに寄ってそこでも1時間くらい勉強して、みたいな日々でした。大好きで毎年欠かさなかった『紅白歌合戦』も見ずに大晦日まで勉強する私を、お姉ちゃんはすごく心配してくれていたみたいです(笑)。」
——受験生の追い込みだね。志望校はどうやって決めたの?
「指定校推薦をあきらめた後、最初は演劇を学べる学部がある大学をめざしていたんですけど、そこはAO入試で落ちてしまって。そのあとは第一志望校は決めず、とにかく楽しそうなところをなんでも受けてみようという気持ちでいました(笑)。受験校を選ぶ上での条件は、一定の偏差値以上であることと、幅広く学べること。一般受験は、この条件に当てはまる大学をとにかくたくさん受けて、受かったところに入ろうという計画で進めました。最終的に、受かった中で一番偏差値の高かった法政大学に進学したのですが、“幅広く学ぶ”を実現できたので、結果オーライだったかなと思います☆」
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